ただしショットガンでな!
装備軍拡したというのに年末、年度末が近づき、どこかのフィールドの定例会でも行こうかしらと思っていた日曜日がどんどん仕事で潰れていくがせですこんばんは。おのれ平日休んでやる。(休めればの話)

基本的にはぐれアタッカーの自分はマンセルを組むことが殆どないので、定例会とかでひとりぼっちでも寂しくありません。本当です。泣いてなんかないです。
けれど、統率の取れた連携を決めてくる複数人のチームなんか見るといいなぁと思ってしまいますね。実際、以前ゲームで分隊支援火器のガンナーさんが隣にいてくれた時の頼もしさ、敵の行動を制限してくれている時の展開のしやすさは強く印象に残っています。
今日はそういうとこらへんの昔話を。

今を遡る事十数年前。自分が所属していたチームは、連携とは無縁でありました。コアメンバーがスナイパー2名、ハンドガンナー1名、フルオート2名(内一人が自分)、という構成でした。主力はパワー&長射程を誇るスナイパーの二人。ボルトアクションのスーパー9とコクサイのM16(コクサイのM16はセミオートのみのガスガンでしたが、静粛性は折り紙つきでした)で、残りの三名はいわば勢子の役割だったと今にして思います。はぐれアタッカー癖はこのときついた気がするなぁ。

オフェンスが会敵して交戦中の敵をスナイパーがサイドから仕留める、オフェンスがやられてもスナイパーがアンブッシュの末に敵を全滅させる、というようなのが当チームの勝ちパターンでした。具体的な戦術というものもなく、いわば武器もって反撃可な鬼ごっこのようなサバゲで遊んでいたというのがもっとも適した表現に思います。
もちろん、当時から戦術面での考察を重ねていたチームもあったのも確かです。その極北として、Gan誌でサバイバルゲームにおける戦術とかの記事を連載していたチームNINJAと言えば懐かしく思うオールドゲーマーさんは多いのではないでしょうか。
(チームNINJAのビデオとか買ったなぁ)

そういう牧歌的なサバゲをいつものフィールド(といっても人が滅多に立ち入らない馬鹿みたいに広い自然公園。今じゃそんなところでサバゲしちゃダメ! 絶対!)でしていますと、奥の林のほうでフルオートガスガンの音がします。それも複数。すわ同好の士! この好機逃すべからずとばかりに早速コンタクトをとりに行ったのです。

当時、サバゲ相手を見つけると言うのは結構骨が折れる事でした。今のようにフィールドに行けば定例会なんて事はありませんから、行き着けのショップで出会った常連同士のチームで対戦とか、もしくは学校の先輩にサバゲやってるチームがあると聞けば、本気ビビリながら対戦してくださいとお願いしに行ったりとか。
ウチのスナイパーが怖そうな先輩のコメカミ撃って血が出て、ボクシングでフックを食らったかのように膝を付いたときは、声を掛けに行った手前、自分にはどんな報復が待っているのだろうと泣きそうになりましたが『サバイバルゲームだからしかたねぇな』といって何事もなかったのは未だ鮮明に覚えています。

閑話休題。

たまたま居合わせたそのチームの皆さんは、当時としては珍しくスナイパーが一人も居なく、フルオートかエアコキ所有の全員アタッカーというような構成でした。
射程の面では此方が有利、これは勝つる! と内心思いながらいざアドリブの交流戦へとなだれ込みました。が──。

これがまったく勝てない! 今で言うところのツーマンセル、スリーマンセルでの行動をとって、さらに展開の速さがウチのチームの比ではありません。
もっとも印象に残っているのは、『コッチがどうしようと考えている最中に状況が変わってしまっている』事でした。
会敵し第一射を浴びせられ頭を下げてるうちに、敵の一人がブッシュ伝いに此方の側面に即回り込むなどと言った足を使った戦術のキレたるや、あたかもスポーツの域に達していたように覚えています。
拙速は巧遅に勝るという孫子の兵法の一文がありますが、速さは重要なファクターなのだなと痛いほど思い知らされたのでした(実際、10メートル以内にいきなり出現してフルオートを浴びせられるのですから痛いのも当たり前)。

自分を含むオフェンスはあっという間に駆逐され、頼みのスナイパーも囲い込まれて仕留められてしまいます。
こうも勝てないと流石に此方も頭を使います。フィールドの動線(自然公園なので獣道みたいな歩道がいくつかありました。塹壕はありませんが、佐原のフィールド、エリア51に良く似ていました)をみんなで再確認し、侵攻ルートを決めたり、敵を深追いせずスナイパーとオフェンスが分断されないようにしようなど──。
そのチームとは互いに連絡先を交換して、それから幾度か対戦しましたが、少しはいい勝負ができ、ちょっとは勝てるようになりましたが、それでも互角とは程遠い感じでした。

そのチームのリーダーさんの迷彩服はタイガーストライプでした。ベトナム戦争の頃、米特殊部隊が愛用していたと言いますから、神出鬼没を是としていた彼らは、もしかしたら実際の軍事教練とかを参考にしてサバゲしていたのかなぁ、と今にして思います。違うかもしれませんがw

ちなみにそのリーダーさんをから一度だけヒットを取った事があります(相打ちですが)。当時愛用していたサイドアーム、マルゼンのワルサーPPKで(俺マルゼン好きだな)。
昔の装備は殆ど処分してしまったのですが、そのワルサーだけは捨てられませんでした。
それくらい、辛酸を舐めさせられていたという事ですねw

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コメント 3

これ以上ありません。

Masato

Masato

また今回も読み応え有る内容でありがとうございます!
勉強になりました。スナイパー激減の昨今、先日のゲームで初戦から最後まで徹していた方が居ました。非常にかっこよく見えましたね。
がせさんも平日でしたら是非ご一緒しましょ。
背中守ってください(笑

もんじろー

もんじろー

はじめまして

スーパー9…

コクサイM16…


反応しちゃいました♪

後はJACのUZIとか当時は使ってました。


行き着けのショップ

決まった、とある裏山…


あの頃、対戦相手や仲間を募るのはそんな感じでしたね。

思わず色々なことを思い出しました。

ありがとうございます。

がせ

がせ

Masatoさん

かつてのサバゲにおいて、スナイパーはたしかにスナイパーらしく立ち回れました。ですが同時にパワーアップの盲進に向かってしまった人も自分の知る限りで数人いたのも事実。市販されているエアガンの平均飛距離が大差なくなった現在、本当のスナイパーたりえるテクニックを有している人をお見かけできたら、きっとハートを打ち抜かれますね……。スナイパーだけに(つまんねぇよ!)。

もんじろーさん
あの頃はJACがトップシェアだったんではないでしょうか。昔のサバゲを語るのに、外せないメーカーでしょう。
自分はブランクが長すぎるので、隔世の感が強くて、それもまた面白い感じです。
自分の記憶が正しければ、インドアフィールドマルサバの近くに、JACの工場があったはずです。因果なものですw

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