この10/28はドーハの悲劇から20周年なんだそうで、こんな事言うと間違いなくサッカーファンを敵に回すだろうと思いつつ、でも言う。

終了のホイッスルが鳴るまではロスタイムだろうとなんだろうと試合は続いている。そこを油断した報いであって悲劇でも何でもない、自分が悪いだけだ。
悲劇の名の下に美談として問題の本質から目を背けてるけど、本来はだから臥薪嘗胆すべきと大いに反省するべきところであった。

結果としてチーム日本はその後、躍進を遂げた訳だが、悲劇の1言で片づけて臭い物に蓋をし続けて来た我々は果たしてどうだったのか。

土壇場でしてやられたという経験は、サバゲではあまり記憶にない。
ただ、逆のケースは結構ある。
直近だとAGITOフラッグ戦ラスト回の終了まで1分とない前にフラッグゲットとか、更に古くはソ満戦でラスト3分前に3人いっぺんに片づけて、敵側の損害限界点を超過させ勝利とか、某6時間戦でラスト10分前に敵本陣に突入・戦滅したりとか。

いずれのケースも、誰もが「もう勝敗は決した、今からそんなのムリ!」と思っていたのだ。
(いずれのケースも、共に参戦していた同志達は痛い程にこの絶望的だったシチュエーションが理解出来ると思う)

だから、「棺に蓋するまでは勝負は終わらない」と言うか、もう「ダメっぽい」で諦めるんじゃなくて、最後の最後まで気を抜かず機を伺い続ける事だ。

我々が学ぶべきは本来そこにあるのではないかと、20周年の今、改めて感じた次第。

人参解放軍公式HP「人参日報」
http://hw001.wh.qit.ne.jp/broomhandle

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