メインアーム: モーゼルM712 SDバレル 6mm
1911年の栄光
「1911」と聞いてまず浮かぶのは天才ブローニングが設計したコルト社の自動拳銃(それもA1の付かない方が好きなのはHPで触れた通り)な我輩だが、同年は辛亥革命発端の年としても知られるのは言うまでもないだろう。
これを題名に掲げる映画と聞いては見に行かずにはおれまい。
というわけで、多忙の続いた我輩だが本日ようやっと観に行って来た。
実は前評判でジャッキー・チェンが孫文とか聞いていたのでそうするとラストシーンはガチムチ袁世凱とタイマンカンフーバトルか?と盛り上がっていたが、実際には孫文は定番のウィンストン・チャオ(「宋家の三姉妹」とか「孫文・100年先を見た男」でも孫文役を演じている)で、ジャッキー・チェンは黄興だった。
写真で見る黄興はどれも山田ルイ53世みたいな感じなのでどうも違和感があるのだが、まあこの辺が映画的演出という事で。
予告編とか見てだけでも、またまた「ボルトアクションライフルで戦いたい」病が発症してしまいそうになり、また劇中でもボルト操作するガチャガチャという金属音にはシビれていたのだが、そんな中でも印象的だったのが、馬で赤旗掲げて戦場を駆け抜けるシーンのカッコ良さだ。
やっぱ戦場の騎兵って絵になるね。我輩も一通りの騎兵課程を修了してはおるが、その後中々乗る機会がなくって。
しかもあの旗は「黄興参上」である。
我輩も混迷せる戦場に「紅中兵参上」の大旗を掲げて突入したいものだ。
いやあそれにしても、ACUの白人が叫んでるのを見ても犬が吠えてる程度にしか感じない我輩だが、亜細亜人が埃まみれになって戦う姿には心躍ってしまう。
しかもこの時代だから、全自動火器ったらマキシム重機しかないんだよな。この無双っぷりもまた良いんだが、ボルトアクションで1人また1人と撃ち倒していくシーン満載で、うーん村壱貸し切ってボルトアクション戦やりたい!
残念だったのは映画のストーリー的には何も残らなかった事。確かにカメラワークとかはかなり良い。旧来の中国映画とかかつての邦画みたいな冗長さはなく、ちょっとくどめの演出はハリウッドを意識してるな、というブラザーフット以来の亜細亜映画のそれを踏襲しているので、映像はきれいだったけど・・・。
だけど、それだけなんだよな。泣けるシーンもなく、感動もなく。淡々と歴史的事実が続いていく。
いや、それはそれでよい、けどそしたらラストはもうちょっと違いところであるべきだったのではないのか。
たとえば第三革命成功の時とか。孫文死去でも良い。いや主役は黄興だというなら黄興上海入り後、未練と未来への思いを残して逝去するとか。
なまじ清朝終焉後の混乱を知っているだけに、すごく消化不良な感が残った。
まさか、1911-Ⅱは無いよね?
それにしても、戦場のレクイエムといいこれといい、何故こうも琴線に触れる映画が次々と製作されるのだろう。
ああそれと、孫文といえば「孫文の義士団」も見たいなあ。
人参解放軍公式HP「人参日報」
http://hw001.wh.qit.ne.jp/broomhandle
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