メインアーム: M16A1
サバゲーの勝ち負けとは・目的とは
思うところがあったので少し
サバイバルゲームは勝ち負けを競うものではないという言い方をする人がいるが、まあそれは別にいいとおもう。
その辺は人によるし、パフォーマーもいらっしゃるし。
ただ勝つだけなら、モスカートばら撒けばいいというのも、まあ理解できる。
ところが、友人に勝つのが全てなのか、と聞かれた。
正直、意味が分らなかったといえる。全て、というより、勝つのは、勝ちに行くのは、当たり前のことだと思っていた。
パフォーマンスをメインにした人はともかく、ゲーマーは楽しむために、勝とうとしてやっていると思っていた。
だが、違うらしい。
もちろん、勝てばいいとしてプレイしていくつもりはないし(それがどんなプレイかわからないが)、楽しむことは当然だと思う。
ただ、勝ちに行かないというのは「?」ではないかと思ってしまうのだ。
ネタプレイを含めることになるだろうが、それでも皆がある程度本気でプレイしていることが前提で成り立っている、と私はずっと思っていた。
でも勝つ目的でない、勝ち負けは別にいいという考えは、これに対しどうなのだろうか。
少なくともカスタムは、格好もさることながら、いかに素早く、遠くから相手を射殺できるかを考えて行う。それは勝つという目的あってのことだ。
常に、どうやったら有利にゲームを進められるか考えてメイキングをする。これが自然な流れだと思っていた。
だが、違うのだろうか。
負けても楽しいが、やっぱり悔しい。それが「ゲーム」ではないのか?
確かに僕は性質上、勝ちにこだわるところがある。負けず嫌いなのはよくわかっている。
それが悪いと思ったことはないし、勝ちに行くことは相手への礼儀だと思っている。負けてもいい、などという態度で挑まれたら、少なくとも私なら怒るだろう。
連携もチームも、勝てるほうに導くためにどうするか、それを考えようとしていた。
極力味方を減らさず、勝つための方法を身につけようとしてきた。それは、間違いなのだろうか。
こういう人がプレイしていること自体が、問題なのだろうか?
その逆というかなんというかだが、最終的には突き詰めればゾンビしたくなるから、楽しさ優先にするんだ、とかそういう言い方をする人がいる、僕はそれも意味が分らない。
確かに勝ち負けは重要だと思っている。だが、反則行為はその時点で勝利の価値をなくすのはずだ。
そもそも、反則行為をする人がいることと、勝ち負けにこだわることの関連性は実際ないと思う。勝ちに行く人、が反則行為をするとは思わない。
たとえ相手が反則をしようとも、一切の反則をせずに勝つ。負けを認めざるをえないほど圧倒して勝てる方法を考える。
これが本当に「勝ちにこだわる」ことではないだろうか。
・・・脱線したが。
つまり、僕が友人の言わんとすることを理解できていない、という観点もあるのかもしれないと思うが、僕のサバゲへの接し方自体がおかしいのかもしれない、という疑問を呈したということで。
サバゲーにおいて目指す目的とは何か、それがよくわからなくなった、というお話なのです。
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コメント 30
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るざ@仲間欲しい
ぷれでた~さん
はい、私もそう思います。
どうしても自分の考えは一面からしか見えないことが多いです。
それもあって、今回記事を書かせていただいたところがあります。皆さんのご意見、アドバイスを聞き、もっと考えなければ、と思ったという理由が大きいということです。
友人のコメントを受けて、考えるところがあって、全体に向けて書き直したので、この記事で書いたことと今回の問題の全部は一致しないです(思うまま書いたので纏め切れませんでしたが・・・)
この記に、考えようと思って、皆さんの意見が聞けたらいいな、という感覚で書かせていただいたものですので。
友人との問題に関しては、前記事の僕の記事が、友人の神経に触れるものだったことが原因で、あれはお互いに意見を理解できてなかったこと、僕の書き方が悪かったことが主な原因だと反省しています。
ええ、その通りです。たまたま集まったくらいのチームなので全然方向性の一致はしていませんが、これを糧に結束できたらと思います。
何より皆が笑顔でプレイできることに勝ることはないというのは、私も思っていますから。
いえ、本当にありがとうございます。ありがたいお言葉でしたよ
るざ@仲間欲しい
みっちーさん
はじめまして
はい、まさしくです。ここで多様な意見が聞けるだろう、と思ったとおり多様な意見を聞くことが出来てありがたい限りですw
どうしても勝ちたい、という人とそうでない人では、意見が合わないというのは以前も感じていたことなんですよね。
私は、勝ちたいことに理由はないし、勝とうとすることを前提として考えて動く。だから、勝ちを目的としない人が理解できない。
いえ、そういうひとがいるし、それが当然なのは、頭では分ってるんで気をつけてはいるんです。ただ、ふとした拍子に出ちゃうんですよね、「絶対勝つのが当然」だって・・・
勝ちに行くのはやはりゲームだから当然、ですがそれにこだわりすぎているように見えてしまうのは、やっぱり勝ちにこだわらない人からすれば不快になっちゃうのだと思います。
意見をおしつけるようになっちゃってるのも、同じですね。
私のほうも、こっちの考えを理解して欲しいという感覚になりがちですがw
うまいこと折衷してやっていくようにしたいと思います!
ありがとうございます、ホント、気をつけますw
るざ@仲間欲しい
さめさん
そうですか・・・そういう方もいらっしゃいますよね。
楽しむことを前提として、その結果勝つ方向に動く。
おっしゃられている通り、勝ちたい人がいるだろうから、そういう人のことも考えて動いているというのもあるのだと思います。
やはり私には、それは感覚として理解するのは難しいのですが、頭ではきちんと理解していかないといけないと思います。
何を楽しみとして動くのかが違う、ということですよね。つまり。
同じことはするけど、どちらを優先するかが違うといったほうがいいのかもしれません。
確かに誰かの考えのせいで、誰かが窮屈になるのは問題ですよね。
そのためには、お互いに譲歩する必要がある、と・・・そういうことでしょうか。
しっかり考えて、肝に銘じておきたいと思います。
ありがとうございました
斜陽のБеркут
>しかし、それは楽しむことの副産物的なものとして、自然と勝とうと動くにすぎません。
>私はサバゲーにしかない最大の魅力は非日常空間(それに付随する緊張感や茶番等含め)だと考えています。つまるところ、戦争ごっこが楽しいのです。
>ですので、勝利が共通認識というのは少々誤りだと思いますし、サバゲーの魅力を殺しかねないとさえも考えます。
勝敗を競った非日常的な戦闘シミュレーション自体の雰囲気を楽しむ、ご尤もです。
しかしながら、それもあくまで真面目に戦闘目標の達成を目指して動くからこそ迫真の雰囲気が醸成され、そこで生まれたドラマも尊いものに成り得ると思います。
なので、(それが大きな魅力であることは肯定しますが)どちらを目的/手段としているかは人それぞれではないでしょうかね。
雰囲気のみを抽出した究極形が設定と脚本通りのリエナクトであると思いますが、そこで生み出されるドラマも規定路線通りのものに過ぎません(その点で考証に凝りつつも戦闘自体は通常のサバゲー通りにこなしているヒストリカルゲームはいいとこ取りを為し得た一例でしょう)。
戦うからにはお遊びながらも精力的に目標達成を目指し、互いに知力と体力を駆使し矛を交える上でこそ、そこで偶発的に生じたイベントも一層楽しめるようになるという所感です。
向上心があるのなら反省も必要でしょうが、参加者各々なりに尽力してプレイに当たっていたのなら恥じることはないはずです。滑稽な最期であれ、潔い負け様であれ、それも迫真のシチュエーション作りに貢献したと割り切ってより高みを目指せればいいと思いますよ。
十六夜団子
新着より失礼します
私の場合は「いかに本物のようにみせて勝つか」が一番かつ永遠の課題です
勝つだけならばあんなに装備を付けない方が良かったりもしますし、再現だけならあんなに走ったりしなくてもいいでしょう
(あくまで個人的にですがね^^;)
ルールとそれぞれの楽しみからゲームが成り立つので一概に正しい事は見いだせないと思います。
色々な人がいますからね、様々な意見があっても仕方が無いです
その中で、自分なりの考えや行動ができることが一番大切だと思います
勝敗は結果ですから、過程とみて割り切るのもありだと思いますよ^^
(乱文で申し訳ない^^;)